ハァ!?長調「タックパンツを見た驚愕曲」

2015.03.04.Wed.13:33
キリスト教徒ならジーザスクライスト
イスラム過激派なら射殺対象
なんてものが地下鉄に乗り込んできたのか
俺は天がないから天井を仰いだ
21世紀で最悪のファッション
20世紀でいうとデラソウル
無地ならまだいいさ
ワンポイントでもまだいいさ
彼女はそんな駆け引きもなく
まるで革マル派みたいな
平気で人を殺せそうな
お花畑柄なんだから

どうやらあれはタックパンツというらしい
履いてる彼女は正気らしい
田舎の母がボロいカーテンでこしらえた
花柄のダサい部屋着みたいだね
いやいや俺の実家の、こないだ尻を拭いたあのトイレットペーパーみたいだね

幼稚園児がクレヨンで描いたわけじゃない
いっぱしのデザイナーが考えたんだろう
どこの出身だろうか
モード系か
東京モード学園か

タックパンツよ
履いてる彼女は雑誌の傀儡
ばあちゃんのモンペを想わせる
この国のモードデザイナーは全員死ねばいい

ああタックパンツよ
火をつけて踊らせたいほどくそダサいのに
60代のババアならいいんだ
大阪はトレンドになってるってよ
やったね

いつかはタックパンツも消えるだろう
そして彼女も後悔するさ
あんなみすぼらしい姿で
若い時間の一瞬を生きていた事を

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お話の案「鉄錆色の風景」

2015.03.01.Sun.14:13
この日記シリーズは、浮かんだプロットを書き連ねたもの。
いつか自分で書くかもしれないけど、もし小説を書ける人がいるなら書いてほしいと思う。

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仮題:鉄錆色の風景

大手企業に勤めていた男は、上司や同僚からの執拗ないじめに耐えかねて、上司を殴り飛ばし辞表を提出した。
一人暮らしから実家暮らしに戻った彼は、無職のままふらつく日々を過ごす。

しかし、実家のある町の姿は気づかないうちに変わり果てていた。
シャッターだらけの商店、スーパーさえ閉店し、車やバスでしか移動のできないショッピングモールに頼る生活で、そのショッピングモールのさらに先にあるショッピングモールに遠くからの客を奪われて経営は困難だった。
近所には子供の声もなく、老人ばかりが増え、区画整備の計画も立っていた。
なんでこうなったのか母に聞いた
すると母は言った「昔からそんなものよ、あんたが知らなかっただけ
子供の頃から今までその変化に気づかなかった
だが、今になって気づいた
なにもかもは鉄錆色に見えていた。


男はそれとなく勧められた自治会に参加し
それから消防団に参加して、その町に貢献しようと思った。
しかし、何も変わらない。
当然だった、何か変わるようなことではないと思う。

考えた
なぜこの町はこうも変わったのか?
自分の町が廃れていく理由は何か?
男はそれを捜すために情報を集め続けた。

自治会の人間、市役所の職業案内所、飲食店、小売店、井戸端会議、タクシーの運転手、すべての人間に聞きまわって、そのすべての人間から出た答えは地権者の問題だった。

地権者が土地を保有し、空き地状態を作り出し、また、売った土地から多くの利権を回収することで、店舗は継続できるほどの稼ぎを得ることができず、交通機関は運賃を高くせざるをえなくなった。

しかし、保有する土地の切り売り交渉について当然交渉を持ちかけ、買った側の問題であるのでそれを責めることなどできはしない。

知恵もなく、金もなく、勇気もない、なにもできないと思った男にふと見えた風景は、いつか、近い未来の、鉄錆色の風景だった。

この町はこのままじゃ終わる。
人々の多くは悟っているように言う
終わると知ったところでだれがどうできるのか?

知らない、そんなことは、でも行動したいんだ。
この町を変えようとしている人たちも少なからずいるんだ。
だから俺はそれに参加しようと思う、俺には知恵が無いけれど、俺はこの町が好きだ。

何も無いところだけど、いつか花開くとは到底思えないけど、多くの人が見捨てたら、俺の町はなにもなくなってしまうだろう。

いつか、誰かがふとこの町に来たときに、しばらくこの町の名前を覚えてくれる程度でいい。
鉄錆色の町にはそれはできない、退屈な、名前の無い町の風景の一部では。

俺の町の名前を知っているか?


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これは自分の地元についての話。
自分の身近なことについて書こうとして浮かんだことだが
イメージとしてはジョン・メレンキャンプの「スモール・タウン」が浮かんでいた。
この曲で彼の生まれなどの話を知りたかったが、山本安見だかの評論が簡潔すぎてつまらなかった。

自分の経験・・・。
たとえばバロウズのジャンキーやケルアックのオンザロードみたいな経験もなにもしていないわけで
とてもつまらないと思ったのだが、しかしなんだか捨てられない話だ。

こんな町はいくらでもある、茨城や千葉、埼玉にも。
ちょっと路地を入れば四国となんにも変わらないような風景がある。
青森県民に言われたくらいだ、おまえんちってちょっとわき道入ると青森とかわらないなって。
枯れた畑に風が吹けば砂漠に見える。
アメリカの田舎のような錆だらけの鉄屑と、シャッターと閑静な住宅街が同居している。
決してインフラが整備されてないとかじゃない
高速だって、電車だってある、これでも東京駅まで50分だ。
ここはそれでも廃れる、若者は出て行く。
俺にとってどこにでもある風景
「逃げたい風景」ではなく
「なんとなく出て行く程度の風景」。

考えたのには上記の2作家の影響も若干ある、あとブコウスキーもそうだ。
そういう作品が日本にないこともないのだろうが、いまいち共感できない。

むかし三島由紀夫が東大で学生とおしゃべりをしていたときの話を聞いて思ったこと。
日本よりも海外を歩いたほうが自分に日本を体感させてくれる。
噛み砕いた解釈だが、音楽でそれは体験している。
おれは散々洋楽を聴いてきたが、今になって日本の、自分の青春時代あたりのアーティストたちがいいものを造っていたと感じている。
なら文学もそうじゃないかね?
俺のビートルズはファンテとギンズバーグで、ストーンズはバロウズとブコウスキーだ。

ぐっちゃぐちゃだな。
いろいろ言いすぎて
なんの話だったか忘れた。